全国7カ所のご当地やきとり店主たちによる「全国やきとり連絡協議会(以下、全や連)」は、やきとり文化の社会的地位向上に努めてきた団体だ。全国のご当地やきとりの連携、PRイベントの実施、そして東京からの情報発信を活動の核にしながら、わずか10年間で大きな成果を挙げてきた。
現在、全や連の代表理事を務めている日疋好春氏が「ご当地やきとり」の存在を知ったのは平成14(2002)年のこと。日疋氏が代表取締役を務める(株)ひびきは埼玉県川越市に本社を構え、国内外にやきとり店約30店舗を展開する会社だが、当時は県内で数店舗を出店する規模だった。
同社ではあるビジネスプランコンテストに応募し、地元の東松山名物のやきとりによる地域活性化を提案。賞を獲得し、表彰式に出席した日疋氏は経済紙『フジサンケイビジネスアイ』の記者、樋口秀一氏から「日疋さんは、『ご当地やきとり』をご存知ですか?」と声をかけられた。
地域色豊かなご当地の連携が
やきとりを盛り上げるはず
樋口氏曰く、東松山と同様に全国には地域固有のやきとりが数多くある。やきとりで地域の活性化を目指すのであれば、複数のご当地が連携しながら活動したほうがよいのではとのことだった。日疋氏は樋口氏の提案を自分なりに検証した。確かにご当地やきとりは存在しており、各地は個別に活動をしていた。
ちなみに、やきとり文化に詳しいフードジャーナリスト、はんつ遠藤氏は、著書『全国個性派やきとり100店』で全国30カ所にもおよぶやきとりのご当地を紹介している。このうち、後に全や連の活動に参加する7大やきとりタウンは下記の特徴が挙げられる。
・美唄(北海道) :鶏の内臓すべてとタマネギを1本の串に刺す。塩コショウ。
・室蘭(北海道) :豚ロース肉と玉ねぎを串に刺す。洋がらし。
・福島(福島県) :福島産「伊達鶏」を使った王道のやきとり。塩・タレ。
・東松山(埼玉県):豚肉を使用。歯ごたえのあるカシラが特徴。辛子味噌。
・今治(愛媛県) :鉄板で鶏皮をコテで押しながら焼き上げる。串に刺さない。
・長門(山口県) :牛肉、豚肉、鶏肉が混在。ガーリックパウダーを使用。
・久留米(福岡県):牛肉、馬肉、豚肉、鶏肉が混在。キャベツとともに食す。
ご当地やきとりの食材、調理法、味付けは様々であり、串に刺さないやきとりすらある。その存在を再確認した日疋氏は各地の連携の意義を感じるとともに、ラーメンになぞらえて、やきとり業界の進むべき道をこう考えた。
「『将来はラーメン屋さんになりたい!』という子どもたちはたくさんいるのに、やきとり屋になりたいという夢は聞きません。やきとり屋を子どもが憧れる職業にして次世代に渡していくのが自分たちの使命です。そのためにはまず、『ご当地』の盛り上がりを作るべき。そうすれば、きっとラーメンのように料理人自身が独自性を打ち出す『オレ流やきとり』が生まれ、やきとりが次世代にわたり受け継がれていくはずです」
店を支える地域を元気にしたい
ご当地が結集し、全や連を結成
新聞社の呼びかけで集まった各地のご当地やきとり店の店主たち。このサミットから連絡協議会が生まれた。
平成17(2005)年12月、フジサンケイビジネスアイの呼びかけによって日本初の「やきとりサミット」が開催された。室蘭、福島、東松山、今治、久留米から地域を代表するやきとり店の経営者が集まり、意見を交換。どの経営者も、やきとりという料理と味には自信を持っていた。話の方向は味についての議論よりも自然と地元の活性化に向かっていった。
「やきとり店は地元の人々に支えられて成り立っている。これまで商売を支えてくれた地域に恩返しをしたい。不思議とその思いは一緒でした」と日疋氏は振り返る。ご当地やきとりはかつて炭鉱業や重工業で栄えた街に多い。だが、地域の産業が衰退するにつれて、街の活気も失われていった。「ヴェネチアがそうだったように、工業の街が復活するには観光で盛り上げるしかない。やきとりをフックに、それぞれの地域のPRをしていきたいと考えたのです」
そして、この日の会合はそれぞれの店主が抱いてきたやきとり店経営という職業へのジレンマと誇り、そして未来への決意を共有する場となった。日疋氏は自身の思いをあるインタビューでこう答えている。
「日本におけるやきとりという産業は、私もその一人ですが、なりたくてなったわけではないひとが少なくない。でも、それでは子供たちが継ごうとは思わない。やはり、子供たちの憧れる仕事や産業にしていくことが大切。(中略)やきとりの社会的地位を寿司や天ぷらと同じ高さまでに持って行きたい。(後略)」(※1)
やきとりサミットで出会った同志たちは、すぐに行動に出る。平成18(2006)年1月、「全国やきとり連絡協議会」が設立された。サミットに参加した5店の経営者が世話人となり、日疋氏は代表世話人を引き受けた。庶民グルメの代表格であるやきとりに、日本を代表する和食として世界に通じる食文化を築いていくというビジョンのもと、全や連では次の3つの目的を掲げた。
① 各地が協調して、豊かなやきとり食文化を全国にPRし、やきとり全体のイメージアップとファン拡大をはかる。「やきとりの街」の各地・各店への集客効果を高め、各地の創意工夫によって集客を競う。
② 「やきとり」の従来のイメージを転換。「赤ちょうちん」「縄のれん」「立ち呑み屋」という固定化した夜のイメージから脱却し、昼メニューの開発、おやつになるようなファーストフード感覚のやきとりを目指す。
③ そばや天ぷらと並ぶ日本を代表する和食にプロモーションし、やきとり店を子供があこがれるような職業にしたい。
やきとりはものを粗末にしない
日本文化を体現する料理
やきとりを文化としてブランディングする。食文化の社会的地位を向上する取り組みの事例は数多くあるが、そのほとんどはジャンルを代表するナショナルブランドの大企業、業界団体、地方自治体の主導によるものだ。資金や人材が潤沢にあり、ブランディングよって得られる恩恵も大きい。
だが、全や連を結成した店主たちは、地域密着の商売をする地方の中小企業や個人経営の店主たちである。文化の価値向上という壮大な挑戦から直接得られる果実は少ないはずであり、常識からすれば無謀とも言える試みだったのである。
一方で日疋氏にはやきとりこそが日本文化を体現しているという確信があった。
「鶏はもも肉、豚はヒレ肉といった高級部位は黙っていても売れますが、必ず人気のない部位がある。けれども、命は一つなのです。ヒレ肉だけ生産することはできない。ヒレ肉を10本欲しければ、10頭の豚を殺さないといけない。他の部位も使い切ることに、やきとり文化があり、ものを粗末にしない日本の文化を体現している料理なのです」(※2)
やきとり文化の存在感を
リアルに伝える「やきとリンピック」
結成された全や連が挑戦したのは、全国のご当地やきとりを結集する「やきとリンピック」の開催だった。やきとりのフードイベントを実施し、全国各地のご当地やきとりが結集し、数万単位の人々を集客することで話題を作る。ご当地が競い合うことで、地元のやきとりへの愛着心を高めることも目指した。初開催は平成19(2007)年9月に開催された「第1回 全国やきとリンピック in 福島」。参加したのは20店で、2日間で4万人を動員。福島に全国のやきとりが集まることへの地元の反響は関係者の想像を超えるものだった。
福島で開催された記念すべき第 1回の全国やきとリンピックの様子。初回ながらも約 4万人を動員。会場では 9万本のやきとりを売り上げた。
その後、やきとリンピックは毎年開催されていくが、東日本大震災による開催延期など、道のりは平坦ではなかった。だが、全や連は徐々にノウハウを蓄積して各地の来場者数を着実に伸ばしていった。
第7回の美唄大会は来場者数3.2万人(人口2.6万人)、第8回の長門大会は同7.5万人(同3.8万人)、第9回東松山大会は同8万人(同8.9万人)など順調に動員を拡大。地方では市内人口を上回る集客を達成し、首都圏の東松山でも市内人口とほぼ同数の集客に成功した。わずか数年間で、やきとリンピックは巨大集客を喚起するフードイベントに成長し、同時開催される地域のお祭りに新たな来場者を広域から誘客する役割を果たすようになったのだ。
やきとリンピックに参加する各店舗は期間中、店の営業を休む。交通費や宿泊費、人件費はすべて自前だから決して利益の出るイベントではない。やきとり文化を育て、社会的地位を向上したい。その一心で参加するのだ。利益ではなく、意義で動いていることだからこそ理解と信頼がなければ成り立たない。日疋氏や全や連の事務局メンバーは全国に点在する参加店に直接出向いて、信頼関係を構築してきた。
日疋氏はやきとリンピックの意義について「そばや寿司には同業組合がありますが、やきとりにはありません。やきとリンピックで他の地域に行き、仲間と再会して共にやきとりを作る。互いに学びあい、教えあい、技術をアップする。研鑽の場所ができたことに喜びと充実感を感じている参加者は多いのです」と語る。
やきとリンピックの翌日に行われる研修会の様子。東松山大会では地ビールの「coedo」、信州上田大会では「信州ハム」を視察した。
首都・東京から情報発信する
「全や連総本店 東京」が開業
やきとリンピックを通じて、ご当地やきとりの存在を全国に広めてきた全や連だが、その悲願は東京にやきとりのテーマパークを開設し、全国に向けて情報発信をすることだった。日疋氏は、ご当地やきとりの存在を教えてくれたフジサンケイビジネスアイの記者であり、後に全や連の事務局長を務める樋口秀一氏の言葉を鮮明に覚えていた。
「新聞記者らしい発想だと思うのですが、『埼玉県東松山市でいくらがんばっても、浦和支局の記事になるだけで全国版には載らない。全国ニュースにしたければ、東京の中心地から情報発信をしなければならない』と言われたのです」
日疋氏はやきとりの事業を拡大する以前、イベント制作やPR業務を手がけていた時期がある。全や連が幸運だったのは、日疋氏や樋口氏のようなメディアでの情報発信の効果について熟知しているメンバーが活動の中心にいたことだ。ご当地やきとり文化を日本全国に浸透させるために、東京に情報発信の拠点を作る。その目的を果たしたのが、平成25(2013)年3月に東京・大手町の東京サンケイビルに誕生した「全や連総本店 東京」である。
東京サンケイビルの地下1〜2階には2層吹き抜けの店舗エリアがあり、フレンチレストランが営業をしてきた。延べ床面積474㎡(約144坪)。通常の飲食店の4〜5店舗分に及ぶ大型の区画で、レストランの営業は苦戦を強いられていた。ビルを運営する(株)サンケイビルでは、この区画を活用することで週末も集客できる店舗を作り、大手町全体の活性化を図りたいと考えていた。
空間コンセプトは 「ショーケース」。ガラスの壁によって囲まれた空間の中では、美味しそうにビールを飲み干す人々、串にかぶりついて微笑んでいる人々、そして笑顔で肩を叩き合っている人々など、さまざまな「幸せなシーン」が繰り広げられている。ガラスの外からみると、まるでさまざまな物が飾られている楽しげなショーケースのようだ。
大手町活性化の切り札に
全や連に白羽の矢が立つ
起死回生のアイデアを求められたのは、フードテーマパークプロデュースの第一人者である(株)ナムコ(当時)の池澤守氏だった。相談を受けた池澤氏が提案したのは、ご当地やきとりによるテーマパーク型店舗の企画だった。
「大手町はビジネスマンやOLが働く街。小ぎれいなレストランは多いが、仕事帰りの人々が溜まれる『猥雑な空間』がない。やきとりなら、そのにぎわいを表現できる。ご当地やきとり、全や連の出番だと確信しました」(池澤氏)
サンケイビルでは池澤氏の提案を受け、やきとリンピックで積み重ねてきた全や連の実績と成果を高く評価し、ビルを活性化するキラーコンテンツとして、ご当地やきとりに白羽の矢を立てたのである。全や連が、この区画に初めての常設店舗「全や連総本店 東京」(以下、総本店)を出店することが決まり、全や連の日疋代表理事が社長を務める会社、(株)ひびきが運営を引き受けた。やきとりの社会的地位向上を目指してきた全や連、そしてご当地のやきとり文化が東京の中心地で認められた瞬間だった。
フードテイスティングパークの誕生と
既存イメージを脱却する店舗づくり
総本店は全や連の活動に参加する7大やきとりタウンのご当地やきとりを食べ比べできる「フードテイスティングパーク」という新業態である。すべての料理は、セントラルキッチンで調理され、お客はすべてのメニューを客席から注文できる。このスタイルを実現するために、全や連の理事を務める各店は自らのレシピと中核食材を総本店に提供した。
「どの店もフランチャイズ化をせずに、のれんを守ってきた店ばかり。常識で考えれば、のれんと味を提供することなどありえません。全や連が活動を通じて培ってきた信頼関係の賜物です」と日疋氏は語る。
開店した全や連の店舗は2層吹き抜けの開放的な空間。通路と隔てるガラスの壁には楽しげにちりばめられたご当地のやきとり名のロゴ。店内の壁面には燃え上がる炎をイメージした鮮やかな赤色のグラフィックが展開し、フロアの中央にはやきとりの串をイメージしたオブジェがそびえ立つ。
まさに、「赤ちょうちん」「縄のれん」「立ち呑み屋」という既存のイメージを撃ち壊す大胆な店舗デザインであり、この空間提案こそが全や連の目指すやきとり文化の進化を象徴するものとなった。
焼き鳥の固定概念を払拭させる大ホール
名店ののれんと店構えで演出した個室ファサード
ご当地名店をオマージュした内装や、店主の写真が配置された個室内部
賑わっている店内の様子
継続的な話題づくりで
突出したメディア露出を達成
全や連の活動で特筆すべきは、総本店を通じてやきとり文化の情報を発信し続けてきたことにある。
総本店では、フードジャーナリストのはんつ遠藤氏を名誉館長に迎えた。はんつ氏はご当地やきとりに関する造詣が深く、『全国個性派やきとり100店』(ポプラ社)、『全国ご当地やきとり紀行』(幹書房)などの著作を発表している。俯瞰的視野で食文化としてのやきとりを語れるやきとり研究の第一人者を総本店のスポークスパーソンとして位置づけたのだ。また、全や連の活動には『やきとり王国』(アトラス出版)などの著書があるフリーライターの土井中照氏も参加。設立当初は事務局長を務め、現在は「やきとり文化研究所」の所長を務めるなど全や連のブレーンとして活躍している。
総本店ではやきとりの新たなる可能性の追求にも余念がない。各地の風土と暮らしが育んできたやきとり文化を東京で紹介しながらも、やきとりの新たなファッションの可能性を追求している。
その代表格が季節ごとにメニューに加わる期間限定商品。夏場に発売される「クールやきとり」は涼しげな色のジェルのなかにやきとりが浮かび上がる。12月に登場する「ケーキやきとり」は一見すると甘みたっぷりのクリスマスケーキにしか見えない。だが、食べてみるとしっかりとしたつくね料理として仕上がっているから驚きだ。
開店当初から総本店の料理長を務め、自ら商品開発を手がけてきた鈴木芳生氏は、「やきとりは庶民の身近な和食。でも、奥深い可能性があります。その可能性を総本店から全国、そして世界に発信していきたいのです」と意気込む。
2016年のクリスマスに合わせて発売された「ケーキやきとり」。ターメリックで香りづけされたつくねをマッシュポテトでデコレーション。外見はまさにノエルの見事な出来栄えだ。
世界一長いやきとりは、記録を持つ街に新たな街が挑戦するスタイルで行われている(写真上)。
また、世界中の美女たちがやきとりを頬張るミス・インターナショナルのイベントも圧巻だ(写真下)。
また、全や連が協力する企画に「世界一長いやきとり」(セカチョウ)がある。地域の有志が世界一長いやきとりを作る挑戦であり、全や連が公式審判員を務める。総本店では、セカチョー挑戦時期に合わせ、長さ1mにも及ぶ「メガやきとり」を販売し、メディアへの話題を提供した。このほか、「ミス・インターナショナル世界大会」に出場する美女たちを店舗に招待してイベントを開催するなど食以外の話題づくりも怠らない。
平成25(2013)年3月から平成28(2016)年10月までの3年7カ月の間に、総本店が全国ネットのテレビで紹介された回数は48回に上った。同じ大手町エリア第2位の店舗は5回のみであり、それも開店時だけであったことから、総本店の継続的なメディア露出がいかに突出しているかが分かる。
こういった情報発信が、やきとり文化の社会的認知度を高めたことはもちろん、総本店をご当地やきとりの殿堂として広く社会に知らしめていった。それだけではない。出店する東京サンケイビル、さらには大手町エリアの知名度アップにも大きく貢献している。もちろん、総本店に参加する各店のご当地やきとり文化のブランディングにも貢献し、地域の誇りを醸成するのにも一役買っているのだ。
新たなご当地や個人の参加、
海外に向け進化する全や連
平成28(2016)年10月、長野県上田市で「第10回全国やきとリンピック in 信州上田」が開催された。会場はNHKの大河ドラマ『真田丸』にも登場した上田城に隣接する公園。全国から15店のご当地やきとり店が参加し、2日間での動員数は7万5,000人に上った。
信州上田大会の実行委員会
事業部長を務める池松勇樹氏
長野県上田市には「美味だれ焼き鳥」というご当地やきとりがある。焼き上げたやきとりに、濃厚なにんにく醤油のたれをつけて食べるというものだ。実行委員会事業部長の池松勇樹氏は、平成22(2010)年秋から地元の仲間とグルメイベントを開催してきた。その活動のなかで、にんにく醤油のやきとりが上田独特なものであることに気づいた。そこで、有志団体を結成し、「美味だれ焼き鳥」というネーミングを提唱する活動をしてきた。池松氏は活動の経緯をこう語る。
「活動を始めた頃は上田市民に美味だれ焼き鳥の存在と素晴らしさを再認識してもらうことが目的でした。その過程で出会ったのが全や連。全国のご当地やきとりの連携をプロデュースする団体があることを知ったときは心強かったですね。いつか、やきとリンピックを上田に招致して、全国のご当地やきとりと競い合うレベルにまでもっていきたい。今回の信州上田大会では、それが実現して感無量です」
地元の美味だれ焼き鳥の店舗も出店し、地元のご当地やきとりをPRする機会になった。
代表理事の日疋義好氏。
各地の店主たちと続けた地道な活動が
ご当地やきとりのブランドを高めた。
日疋氏は10回目の大会について、「記念すべき大会で7大やきとりタウン以外の上田が会場になったことの意義は大きい。ご当地やきとりが盛り上がっていけば、次に必ず個人の感性から『オレ流のやきとり』が生まれるはず。全や連もその来るべき波に備えて、新たなご当地や個人を受け入れられる団体に成長しなけれればならないと思います」と語る。
全や連は、10年にわたるご当地やきとり店同士の連携、東京・大手町の総本店開設、そして絶え間ない情報発信によって、やきとりという食文化の価値を高める文化のブランディング活動を実践し、やきとりを取り巻く状況を確実に変化させてきた。現在、全や連には海外でやきとリンピックを開催する計画もある。和食を代表する料理「やきとり」を世界へ。10年前、個人店主たちが結集して生まれた全や連のやきとり文化ブランディング活動は今、新たなフェーズへと突入しようとしている。(了)
<出典>
※1 Biglife21『株式会社ひびき 狙うは寿司天麩羅越え。 埼玉からやきとりの社会的地位向上を目指す』
http://biglife21.com/companies/2928/
※2 同上
■全国やきとり連絡協議会
【目的】
・大衆グルメの真打である「やきとり」を日本の代表する「和食」として、世界に通じる食文化に築き上げる。
・そのために、各地が協調して、豊かなやきとり食文化を全国にPRし、共同でやきとり全体のイメージアップとファン拡大を図る。
・やきとりの街の各地・各店への集客効果を高め、各地の創意工夫によって集客を競う。
・やきとりの従来のイメージを転換し、「赤ちょうちん」「縄のれん」「立ち呑み屋」という固定化された夜のイメージから脱却し、昼のメニュー開発をはかり、女子高生のおやつにもなるようなファーストフード感覚ののやきとり等、子供たちが憧れ、夢の持てる職業、産業にすることを目的にする。
【設立】
平成18(2006)年1月1日
【組織体制】
代表理事 日疋好春 株式会社ひびき 代表取締役社長
理事 石塚和義 やきとりの一平(北海道室蘭市)
藤本和己 焼きとり たつみ(北海道美唄市)
安田雅樹 鶏料理 鳥安(福島県福島市)
青村雅子 焼とりや ちくぜん(山口県長門市)
木下敏光 焼とり鉄砲(福岡県久留米市)
事務局長 樋口秀一
やきとり文化研究所 所長 土井中照 フリーライター
アドバイザー 池澤 守 フードテーマパークプロデューサー
はんつ遠藤 フードジャーナリスト
【やきとりの街 ・協力地】
北海道室蘭市、北海道美唄市、福島県福島市、埼玉県東松山市、
愛媛県今治市、山口県長門市、福岡県久留米市
【協賛やきとり団体】
室蘭やきとり逸品会(北海道室蘭市)
びばい焼き鳥組合(北海道美唄市)
ふくしまやきとりの会(福島県福島市)
長門やきとり横丁連絡協議会(山口県長門市)
久留米焼き鳥日本一の会(福岡県久留米市)
■全や連総本店 東京
施設業態:やきとりテイスティングパーク
所在地:東京都千代田区大手町1-7-2 東京サンケイビルB2階
開業:平成25(2013)年3月22日
延べ床面積:474㎡
座席数:229席
営業時間:平日ランチ 11:30~14:00・ディナー 17:00~23:00
土日祝日12:00~22:00
定休日:不定休
事業主体:全国やきとり連絡協議会
施設運営:(株)ひびき
基本設計・実施設計・設計監理・施工:(株)フジヤ
ウェブサイト:
http://zenyaren.jp