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研究レポート

「軒先ビジネス/軒先パーキング」(スペースシェアサービス)

スキマハンターが切り拓いた未活用空間ビジネス
〜“スキマ”の活用が事業を創出し、パーキングを変える〜 Vol.1

2017.05.10 facebook
編著:にぎわい空間研究所編集委員会

シェアリングビジネスの世界的な
先駆けとなった「軒先(nokisaki)」
 軒先(株)は、「もったいないスペースをシェアする」をキャッチフレーズに、未活用空間のシェアリングをインターネット上でマッチングするベンチャー企業である。創業は平成20(2008)年4月。日本におけるシェアリングビジネスの先駆者であり、マッチングプラットフォームによるビジネスを開拓してきたファーストペンギンである
 現在、軒先が展開するサービスは「軒先ビジネス」(https://business.nokisaki.com)と「軒先パーキング」(https://parking.nokisaki.com)である。どちらのサービスにも共通するのは、商店の軒先の一時使用など、既存の不動産事業者が扱わない小空間の短期利用について、貸したい人、借りたい人のマッチングを実現していることだ。
 
「軒先ビジネス」(左)と「軒先パーキング」(右)のウェブサイト。
 「軒先ビジネス」は、キッチンカーの移動販売や屋外でのプロモーション、露店販売、期間限定ショップなどのビジネスをしたい事業者と彼らが求める場所をマッチングするサービスである。定休日の個人商店の店舗前から大手ドラッグストアの入口脇のワゴンスペースに至るまで全国約2,500カ所が登録されており、利用する会員も約4,000社に上る。リピート率は約8割。利用の目的は、飲食、物品販売、マーケティングが主である。
 
「軒先ビジネス」の利用法。会員登録から場所の予約、決済までをワンストップで行える。
 「軒先パーキング」は、個人や企業が所有する住宅の駐車スペース、月極駐車場の空き区画などのシェアをマッチングするサービスだ。イベントの行われる大規模ホールの周辺や観光地などを中心に、全国で6,000台分の駐車スペースの登録がある。利用者は1日単位で駐車場の事前予約が可能。会員は基本的に個人で、会員数は18万人にも上っている。
 
「軒先パーキング」の利用法。PCやスマホから駐車場の検索、予約、支払いが行える。
 軒先がサービスを開始した平成20(2008)年といえば、民泊サービスの「Airbnb(エアビーアンドビー)」が設立された年。当時は、日本はもとより世界でも「シェアリング・エコノミー(共有型経済)」という概念はほとんど知られていなかった。そんな時期に軒先が都市の「隙間」の利用を仲介するビジネスをスタートできたのは、同社代表取締役であり、「スキマハンター」を自認する西浦明子氏の卓越した先見性と企画力にあった。
使えそうな場所はいくらでもある
なかったのは貸し借りする仕組み
 西浦氏は大学でポルトガル語を学んだ後、平成3(1991)年にソニーへ入社。平成6(1994)年から南米のソニーチリで6年に及ぶ駐在を経験した。帰国後、IT企業や国際NGOへ転職した後、結婚と妊娠を機に退社。出産を待っていた時期に時間を持て余していた西浦氏は、チリ駐在時代のネットワークを活かして、趣味で集めていた金属製食器を輸入し、ネット販売できないかと発案した。日本でどれくらい需要があるかを知りたいと考え、2、3週間程度のテスト販売をしようと思い立つ。だが、借りられる場所はなかった。
 「不動産屋さんで扱っているのは契約期間が2年間の物件だけで、多額の保証金が必要。商店街にある週替わりの店舗は家賃が1週間21万円で半年先まで予約が埋まっていました。そんな大げさでなくて、テーブルをひとつ置けて、のぼり旗が立てられればいい。そう思って街を見渡すといくらでも使えそうな場所がある。でもそこを借りる仕組みがないことに気づいたのです」
 
ソニー(株)にて、海外向けAV機器のマーケティング、販売企画に従事。
5年間に渡る南米駐在中、プロダクトマネージャーとして新規市場を開拓。その後、創業時のAll Aboutにて企画営業、
(株)ソニー・コンピュータエンタテインメントにて、PlayStation2、PSPなどのローカライズおよび商品開発担当。
平成19 (2007)年の妊娠、出産を機に起業を決意。平成20(2008)年4月に「軒先」代表としてサービス開始。
 定休日で閉めている商店の店先、商業施設のエスカレーターの下、オフィスビルの敷地の片隅。そんな場所を気軽に借りられるようにすれば、きっと借りたい人はいるはず、と西浦氏は「思い込んだ」。そして、インターネット上にプラットフォームを作れば、借りたい人と貸したい人のマッチングがローコストでできると考えた。しかし、実際には苦労の連続が待っていたのである。
 最初の障壁はプラットフォームづくりにあった。西浦氏はエンジニアではない。システムの開発会社も知らなかったので、インターネットのサービスを通じて見積を募ってみると制作費用は千万円単位から十万円単位まで様々だった。一番安い会社に依頼してみたがコンセプトを理解してもらえず、結局は別会社を紹介されて制作費は当初の見込みよりも大幅にかさんでいった。
 平成19(2007)年12月、サービスの概要を告知するチラシ的なウェブページが完成した。「軒先.com」の誕生である。SEOなどの検索サービスもなかった時代だったが、このページを見て連絡をしてきた人々がいた。主にキッチンカーの事業者で「こういうサービスが欲しかった」と好意的な意見を寄せてくれた。手応えを感じ、西浦氏の「思い込み」は「確信」へと変わっていった。しかし、事業は簡単には軌道に乗らなかったのである。
 
安心して営業できる場所を求めていたキッチンカー事業者たちは軒先.comの登場にいちはやく反応した。
 
リーマンショックで売れないビルが
9カ月で400万円の賃料売上を達成
 マッチングサイトが苦労の末に完成にこぎ着けたのは平成20(2008)年4月。当初の登録物件は10件にも満たなかった。それも自らが足で探した物件だった。最初の登録は東急東横線の学芸大学駅の商店街にあるレコード店とお茶屋さん。定休日の店舗前を貸して欲しいと直接交渉した。サイトで物件を紹介すると早速、借り手が現れた。利用料は1日単位で数千円。野菜の露店販売、ウォーターサーバーのプロモーション、携帯電話の販売促進などに活用された。
 
軒先.com開始当時に登録してくれた学芸大学駅の商店街にあるレコード店。定休日になると店舗前での販売が行われた。
 
 一方で、利用者の開拓もアナログだった。登録してもらった場所を利用してもらえなければ、貸主に申し訳ないし、実績がなければ次の登録を促せない。デパートの催事を訪れては、出展者に「安く使える販売場所があります」とチラシを撒いた。次第に、軒先.comには「下北沢など人気スポットの場所を借りたい」といった要望が寄せられるようになってきた。
 だが、物件の登録は思うように進まなかった。「初期投資やリスクなしで、使っていない場所が収益を生みます」と説明しても反応は芳しくない。不動産の所有者からすれば、1日数千円という少額のために代わる代わる知らない人が敷地を利用するのは不安なのだ。心理的ハードルは高かった。
 貸主の信頼を得るための一環として、西浦氏は国土交通省に問い合わせをした。軒先の業務が宅地建物取引業の資格が必要かを確認し、法律的な根拠を明らかにするためだ。結果は「不要」。時間と目的が限定された「一時使用」であり、「場所のレンタル」という見解を引き出すことに成功した。その後は、ウェブでの成約に関しても安心して行えるようになったという。
 状況が変わったのは平成20(2008)年秋に起きたリーマンショック以降である。不動産市場が一気に冷え込み、不動産会社は所有する物件の売買が思うように進まなくなった。だが、不動産は所有しているだけで固定資産税をはじめとする維持費が生じる。ある不動産会社が「新規投資なしでよければ登録する」と、四谷三丁目(新宿区)、九段下(千代田区)、六本木(港区)のビルを軒先.comに登録したのである。
 四谷三丁目のビルは1階部分を1日1万円で貸し出した。水道は通っておらず、トイレも使えない。かろうじて電気は使えた。四谷三丁目は新宿通りから裏手に入ると住宅街が広がるが、雑貨を扱う店が少なく、高齢者を中心に住民は不便を感じていた。軒先が仲介したビルでは、様々な日用雑貨を扱う店舗が出店、大きな売り上げを挙げていった。利用料も徐々に上げていき、最終的には1週間で15万円の価格設定に落ち着いた。結局、この物件は売却されるまでの9カ月間で400万円の使用料売上を生んだのである。
 
四谷3丁目のビル。売却までの9カ月間に400万円の使用料を売り上げた。
 
「この物件が実績を挙げたことで、他の不動産会社にも営業をかけられるようになりました。また、不動産は使っていなければ寂れていきます。軒先.comが活用することでにぎわいが生まれ、モデルルーム効果で不動産としての価値も上がり、買い手がつく。そういった相乗効果も生まれました」
移動販売の誘致で生まれる
既存店舗の「にぎわい」
 こうしたファーストペンギンならではの生みの苦しみと努力が実り、平成21(2009)年4月には、軒先(株)を設立。法人化を果たした。その後は、インキュベーターやベンチャーキャピタルの投資資金を次々と獲得しながら経営基盤を強化。年に1人のペースで社員を増やすとともに、ウェブサイトのリニューアルなどを行い、利用者の利便性も図ってきた。また、西浦氏は様々なビジネスプランコンテストにも応募し、数多くの賞を獲得することで、軒先.comの知名度を上げていった。
 
旗の台(東京都品川区)のスイーツ販売の様子。スイーツショップも人気の業種のひとつ。
期間限定ゆえの希少価値が販売促進につながる。
 
 物件登録の状況にも変化の兆しが現れた。きっかけは、平成23(2011)年の日本書店商業組合連合会との提携だ。同連合会には日本の書店の約半数が加盟している。当時、書店は書籍の売上減少に苦しみ始めていた。とりわけ地方のロードサイドの店舗は状況が深刻だった。同連合会は軒先.comと連携することで、駐車場にキッチンカーなどを誘致し、にぎわいを生み出すことで書店への波及効果を得ようと考えたのである。
 この出会いをきっかけに、軒先.comでは遊休スペースの貸し出しが集客効果に寄与することを強調しながら、大手チェーンへの営業を加速していく。大手チェーンにしても、新たな設備投資をせずに、集客を増やせる軒先との連携は大きなメリットがあった。ドラッグストア、アミューズメント、レンタルビデオ、カー用品店、古書店、DIYショップなど数多くの大手チェーンから遊休スペースの登録契約を得ることで物件数は大きく伸びていった。
現在では数多くのナショナルチェーンが軒先のサービスを活用して賑わいづくりをしている。
 
 ただ、西浦氏は物件数を増やすことだけが、この事業を拡大するポイントではないことを語る。
 「よい物件を登録してもらい、いかに利用を促進していくかが鍵です。物件登録をお願いする時は『近くにオフィスビルがあるので、ランチ販売の需要が見込めます』など利用の想定を提案していきます。とにかく場所を貸すハードルを下げて、実際の利用を実現して信頼を勝ち得ること。その積み重ねです」
 
西参道の登録物件では、野菜や物産の直販(左)やキッチンカー(右)など様々な事業者が利用する。
きめ細やかなサポートと保険で
貸主の心理的なハードルを下げる
 物件所有者との折衝の積み重ねは、現在、「軒先ビジネス」(平成27(2015)年2月にサービス名を軒先.comから改称)の仕組みとして結実している。その特徴は、貸し手フレンドリーな契約条件である。登録料不要、複数サイトへの登録可能、料金設定自由、出店者事業者の審査自由などに加えて、登録作業自体も必要に応じて軒先ビジネスが無料で代行してくれるのだ。
 
貸主のハードルを下げることに努める軒先ビジネス。西浦氏の取り組みの多くは国内のシェアビジネスのモデルとされてきた。
 
 仲介手数料は利用料金の35%。このパーセンテージには軒先が出店事業者を審査する費用も入っている。軒先ビジネスの利用登録には、本人確認書類、保健所の営業許可書(キッチンカーの場合)、PL保険の加入の有無など確認事項が盛り込まれており、審査をクリアした事業者のみが場所を予約できる。その確認徹底も貸主との事故を起こさないベースとなっている。こういった煩雑な事務処理を率先してやることで地道に貸主の信頼を得てきたのだ。
 貸主の安心、さらには借りる側の安心を高めているのが「軒先ビジネス 補償プログラム」である。軒先では創業後の早い時期から万が一事故が起きた場合の対策として保険に注目。該当する既存商品がないため、保険商品の取扱会社を通じて、あいおいニッセイ同和損害保険(株)に商品を新たに作ってもらった。軒先が保険に加入し、物件の賃貸中に生じた身体障害や財物損壊については最大で1,000万円を補償する。空間をマッチングするプラットフォーム事業者による補償体制を整えたのは国内では軒先が初めてだという。
 
「軒先ビジネス 補償プログラム」の保障条件。
https://business.nokisaki.com/pages/compensation

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